アクセス
過去の大会情報
◆1996年~2005年 毎年が新たな挑戦
  INDEX | BACK | NEXT |

 90年代に入ると、市民マラソンの大会そのものが増え、大会ごとに個性化が求められる時代となった。河口湖マラソンも、それまでの国際化に加えて、誰もがエンジョイできる大会を目指していく。98年には仮装レースの部、チーム対抗戦、海外マラソンがあたる抽選会などが新設された。00年にはスポーツNPOハートオブゴールドと提携。大会参加費の一部をチャリティー金として寄付することに。以後同団体代表の有森裕子は隔年で大会に参加、準レギュラーゲストとして大会に欠かせない顔となった。また、日本IDフルマラソン選手権大会との併催となった。00年にはファンランが、01年には河口湖1周の部が新設され、さらに誰もが楽しめる大会となった。

 誰もが楽しめる大会という意味では、河口湖町、足和田村、勝山村、が合併して富士河口湖町が誕生した02年の、スポーツメディカル協会との提携も特筆に値する。「元気にゴールして、迎えてくれる家族や仲間に笑顔を見せることこそ最高の勝利」とランナーを静かにバックアップする彼らは、04年大会で2人の重篤ランナーの命を救った。大会の隠れたヒーローたちだ。

 30回記念大会となった昨年、ついにランナーたちの念願だった競技時間の延長が実現された。周回コースである河口湖マラソンは、ともすれば競技時間中、コース内に住民を閉じ込めてしまうことになる。その配慮に奔走するのが、富士河口湖町のスタッフ。1年間かけて警察、住民、行政などとの調整につとめる究極の縁の下の力持ちだ。大会当日は、町民一丸となり給水所や完走サービスコーナーなどで、ランナーたちを迎えることとなる。

 自身が「河口湖ランナー」でもある日刊スポーツ新聞社・川田員之社長は、大会の魅力と今後について語る。「スタートして1キロほど進んで角を曲がると、突如として眼前に富士山が広がる。ランナーから『ウォーッ』という雄たけびがあがりますよね。私も毎年鳥肌が立ちます。美しい湖畔、紅葉も素晴らしい。河口湖マラソンが他のどの大会にも負けないのはこの景観でしょう。また、スポーツ新聞社のイベントですから紙面同様に感動を共感できる、『明るく、楽しい』大会としたいですね。ランナーが常に自己新を目指すように、この大会も毎年、新たな挑戦を続けていきます」。

 記念大会にふさわしく、豪華なゲストがそろった。日本短距離のエース、末続慎吾が名誉スターターを務めたほか、芸能人フットサルリーグで活躍するカントリー娘。の3人がランナーに声援を送った。また、カリスマサイクリスト今中大介が自転車による先導を行った。優勝者も、男子は箱根駅伝の星モカンバ、女子はシドニー五輪出場の高橋千恵美がそれぞれ優勝と、話題豊富。まさに明るく楽しいマラソン大会だった。

 30年の歴史の中には、コース変更も数知れず、また世相によって、参加者層や意識も変わりつつあるのかもしれない。だが、いつになってもかわらないのはランナーの挑戦する気持ち。そして、走る前の自分より、少しだけ変わることができた、という達成感。それを見守る雄大な富士山と、湖畔がそこにあるかぎり、河口湖日刊スポーツマラソンも、挑戦を止めない。

スタートはいつも熱気があふれる(98年)
98年の選手歓迎前夜祭。司会は山口智充。今や超大物
有森裕子、片山右京もファンランに挑戦(02年)
優勝の浅田勝美はゴールするまで自分の順位がわからず土佐礼子に祝福されびっくり(01年)
グラビアアイドル水谷さくらに萌えっ!(04年)

このページのTOPへ 
nikkansports-marathon.comに掲載の記事・写真・カット等の転載を禁じます。
すべての著作権は日刊スポーツ新聞社に帰属します。(C)2010, Nikkan Sports News.